学会誌「自然災害科学」
自然災害科学36 Vol.14,No.3, 1995, p187f
松澤 勲先生を偲んで
水谷 伸治郎
Shinjiro MIZUTANI
日本自然災害学会元会長,名古屋大学名誉教授,松澤勲先生は,かねて病気療養中のところ,平成2年9月25日未明,名古屋記念病院で心不全のため逝去されました。享年84歳でした。
松澤先生は,明治39年1月19日長野県にお生まれになり,日本アルブスを眺めながら幼少時代を送られ,松本高校を経て,昭和6年3月,東京帝国大学理学部地質学科を卒業されました。続いて同年9月同大学理学部副手,同9年11月同大学理学部助手,同12年8月商工省地質調査所商工技師,同23年4月東京帝国大学理学部講師を勤められ,昭和24年に名古屋帝国大学理学部に地球科学科が新設されると同時に,この教室の初代教授として招かれ,同年9月に就任されました。先生は,日本で初めて創立されたこの新しい学科,地球科学教室の設立と充実に心血を注がれ,昭和44月3月,定年により同大学を退職されるまで,構造地質学講座を担当されながら,約20年の永きにわたって学部・学科の運営,教育・研究,そして新しい学問としての地球科学の発展に尽くされました。先生はまた,教室に関係の深い研究施設である名古屋大学理学部付属犬山地震観測所長及び犬山地殻変動観測所長の事務代理なども歴任されました。このような先生の御努力に対し,名古屋大学は,昭和44年6月,名誉教授の称号を贈り,その功績を讃えております。
松澤先生は,東京帝国大学の時代から,大陸と島弧における地質構造と地殻の構成に関する研究に取り組まれました。特に,若くして満蒙学術調査団々員として東アジアの地形・地質の調査に参加して以来,東アジアの構造発達史の解明を目的として,広く各地を調査研究されました。なかでも,中国大陸の地質構造の研究は初期におけるその代表的なお仕事であり,満州熱河地方承徳付近の地質構造の研究によって,昭和11年4月,日本地質学会学術奨励金を受けられ,さらに,中国大陸の燕山造山帯及び輿安太行造山帯の地体構造と地殻変動の研究によって,昭和19年8月,東京大学から理学博士の称号を授与されておられます。
松澤先生の調査研究の足跡は,日本国内,中国ばかりでなく,遠くアフリカ大陸にまで及び,地殻の構成と構造運動の本質の究明に努められ,多くの構造地質学的功績を残されています。先生は,また,新生代の構造運動に関しても強い関心をもっておられました。特に注目すべきは,東海地方各地の調査と濃尾平野の地下構造の研究から,この地方の基盤の傾動運動の継続性を明らかにされたことでした。この研究成果に関する先生の数々の業績は多方面から高い評価を受け,その一連の研究に対して,昭和41年5月には中日新聞社から中日文化賞が贈られています。
松澤先生は,名古屋大学に着任後,間もなく,地方の地学同好者を組織して,昭和25年に名古屋地学会を創設されました。そして,昭和44年まで,会長として地学教育の普及と発展に努め,地学愛好家を育て,同時に,自然観察や地学研究を試みた小中学生や高校生を表彰し,それらの指導にあたった教諭諸氏に教育研究上の示唆を与えつつ,常にその努力を讃えられていました。
松澤先生は,在職中,教育・研究活動のかたわら,文部省学術審議会研究費委員,通商産業省工業審議会委員及び名古屋地方工業協議会会長,名古屋地方鉱山保安協議会会長を永年務められ,さらに愛知県文化財専門委員,愛知県自然環境保全審議会委員などを兼任されました。先生は名古屋大学を退官された後ち,多くの分野で活躍を続けられましたが,特に,昭和49年から同59年にわたって日本アフリカ学会会長を務められ,アフリカ大陸の学術調査の推進及びアフリカ研究に携わる後進の育成などに多大な貢献をされたことはまだ記憶に新しいところです。
これらの多方面にわたる数々の功績によって,松澤先生は,昭和51年11月3日,勲三等旭日中綬章を受けておられます。
松澤先生の以上の功績に加え,忘れることのできない業憤として,自然災害科学の推進と発展についてのお仕事があります。先生は名古屋大学に来られてから,東海地方の新生代の研究に着手され,ことに濃尾平野を取り巻く地域一帯の地質構造発達史の解明に力を注がれました。先生の研究は濃尾平野の地下構造と地盤沈下,さらにゼロメ一トル地帯における諸災害など広範にわたる問題に係わっています。周知のように,昭和34年9月26日,伊勢湾台風がこの地方を襲いました。未曽有の高潮災害により一夜にして約5,000名の人命が失われ,濃尾ゼロメートル地帯は何カ月も水に漬かったままでした。この伊勢湾台風を契機として,全国各方面で災害科学推進の声が急激に高まりましたが,先生はそれに先立って名古屋大学災害科学調査会を組織され,学内の研究者とともに被災状況の語査と防災・減災対策の問題に取り組まれました。一方,当時福井大学学長であった長谷川万吉先生が代表者となって昭和35年度から「文部省科学研究費総合研究災害科学の総合的研究」が始まりました。松澤先生は昭和36年度から北陸東海地区部会長としてこの総合研究班の活動に参画されておられます。それ以降,松澤先生は,基礎科学としての自然災害科学のあり方,地域性をもった自然災害に対する応用研究,そして,大学における災害科学の教育と研究の進め方などについていろいろお考えになり,多くの協力者とともに,自然災害科学の体制の整備とその向上に尽力されました。御自身も研究代表者として何度も総合研究を組織し,地盤災害を中心とした研究を続けられました。一方,これらの研究活動と平行して,全国的な自然災害科学の研究粗織の必要性を強調され,関係分野を糾合して,昭和56年3月には日本自然災害学会を設立,昭和62年まで初代会長として,自然災害科学の基礎研究の推進とこの学問に係わる学術行政の進展に尽くされました。
松澤先生はいつも研究者と研究機関と文部省との問に立って自然災害科学進展の計画を考えられ,卒先して行動されました。そしてその努力は定年退官後も続けられました。災害科学が今日のような組織形態を整え,その活動を続けることができるのも,先生の情熱と行動力のおかげであると言っても過言ではないでしょう。先生の災害科学に対する基本的なお考えは,昭和37年10月5日付で当時の災害科学総合研究班の研究代表者,長谷川万吉先生に提出された書面,「災害科学研究の促進方策に関する意見」の中ですでにその大綱がまとめられています。松澤勲先生はその書面で自然災害の”地域的特異性”を災害科学の特徴としてとらえ,その視点から災害科学研究の将来計画として全国各地区にセンターを設けることの必要性を強調されています。昭和39年からは,先生も自ら文部省科学研究費(特定研究)「災害の地域的特異性に関する基礎的総合研究-特に本邦中部地区の災害の特異性-」の代表者としてこの課題に取り組まれました。全国6地区の自然災害科学地区資料センターや新潟大学に設けられた積雪地域災害研究センターの構想なども,すでにこの時に具体策としてお考えであったと漏れ承っております。上記の「災害科学研究の促進方策に関する意見」の中には,また希望条項として,突発的災害に対して調査研究経費を容易に,かつ速やかに支給される方途を考慮してほしい,と明記されています。これは,昨今,他の研究分野にはその例を見ないため,自然災害科学の特徴として特に評価の高い”突発災害調査研究”の重要性と意義を指摘し,その実施に関する方策を提言されたものでした。その主張どおり,先生も,例えば昭和48年4月18日に長野県上水内郡鬼無里村で発生した地すべりの研究に際しては.実際に野外調査に参加されておられます。松澤先生はこの突発災害調査研究を自然災害科学の研究の一つの特徴としてあげられましたが,同時に,過去の災害の原因究明とその後の影響に関する事後調査を”資料解析研究”としてあげられ,その重要性を指摘されていました。先生は,各地区資料センターとの連携を計りながら.災害科学研究のもう一つの柱として,この資料解析研究を定着させようと努力されました。今日,災害の比較研究,あるいは,災害資料のデータ・ベースの作成などの形に発展している研究の流れは,先生のこのお考えを引き継いだものといえるでしょう。
松澤先生は,自然災害科学をこれら“地域性”,“突発災害調査研究”,“資料解析研究”などの特徴をもった学問とお考えになり,これらの特徴を生かして各分野の研究が進められるように,具体策を提案されながら努力されたのでした。一方,とくに若い研究者には,自然災害現象の研究は生きた地球の実態を知るためにはまたとない絶好の機会であることを諄々と説かれました。地球科学で中心的な地位を占めているPhysical Geologyを本当に勉強し,充分に理解するためには自然災害現象を研究することが必要である,と言っておられました。さらに,先生は,晩年,永い地球の歴史の流れの中で自然災害現象をどのように把握したらよいかという本質的な問題をお考えになっておられました。それは構造地質学者としての先生の研究の姿勢でもありました。昭和63年11月,先生はこのような自分のお考えを京都大学防災研究所でお話しになりました。自然災害科学をどのように体系だてていくかということも先生のお考えになっておられた課題でしたが,それらを時々若い研究者を相手にして,談論風に話されるのが楽しみのようでした。松澤先生がそのようなお考えを御自身でまとめられつつあった頃から,先生は色紙に次のように書かれるのが常でした-『自然に学ぶ』-。若い頃,中国大陸の大旅行で体験されたさまざまな環境,悠久の地球史,そして,人類の活動,それらをひとつひとつ思い出し,よく考え合わせてみると,結局われわれは自然から学ばねばならないことがまだまだあるとお考えのようでした。
松澤先生は,この数年,特に自然と人間との関わりを基本的な問題と考え,東海地方の地質学,生物学,考古学などの専門家の手による『東海の自然史』の編纂を企画されました。この地方にみられる貴重な自然を紹介しながら,自らも筆をとり,大自然のもつ偉大さを語ろうとお考えになっておられたのです。そして,近く刊行されるその校正刷りを手にして他界されました。最後まで,科学と社会と人類について考え,努力を措しまれませんでした。
告別式は奇しくも伊勢湾台風のあった日,9月26日,しめやかに行われました。日本自然災害学会から献花された花台の前で,遠くから参列いただいた自然災害科学関係者の間では,先生の生前の御活躍の思い出話が尽きることなく語られていました。
なお,松澤先生には,平成2年10月19日,叙位として正四位が贈られました。ここにあらためて先生の数々の功績を讃え,御活躍を偲び,心から御冥福を祈ります。
水谷伸治郎(平成2年11月14日受理)
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名古屋大学理学部Faculty of Science, Nagoya University