学会誌「自然災害科学」

自然災害科学51 Vol.18,No.3, 1999, p261f

【巻頭言】[Preface]

災害情報学の現状

東京大学社会情報研究所
廣井 脩

前号の巻頭言で,京都大学防災研究所・河田惠昭教授が書かれているように,本年4月,長い間の懸案だった日本災害情報学会がようやく設立のはこびになった。メンバーは,大学やシンクタンクの災害研究者,マスコミ関係者,行政やライフラインの防災担当者などさまざまで,研究者の割合が圧倒的に多い従来の学会とはきわめて異質である。また,理工系出身者と文科系出身者のバランスがとれているのも,災害情報学会の大きな特質である。

理学や工学など自然科学的な災害研究は長い歴史をもっているが,人文社会科学的な観点からの研究は,スタートしてからまだ日が浅い。私が災害研究に着手したのは,1971年の有珠山噴火がきっかけであるが,まとまりをもった研究集団として恒常的に人文社会的研究が開始されてから,おそらくまだ20年くらいであろう。また,もともと少数からはじまった研究者のほとんどが心理学者・社会学者であり,その研究テーマは,災害情報と避難行動の実態や問題点を解析し,被害の軽減に役立つ災害情報と避難のあり方を研究したものが非常に多い。そして,この傾向は,基本的には現在も同様といっていい。私もその一人で,主に災害情報を専門として研究を進めてきた。研究に手を染めた当時は,私が災害情報の研究をしているといってもけげんな顔をする人が少なくなかったし,そんな研究をしてどんな役に立つのですかとあからさまにいわれたこともある。けれども,情報化社会の急速な進展を背景として.いまや災害情報は防災の決め手とまでいわれるようになってきた。阪神・淡路大震災後,国や自治体は膨大な経費をかけて各種の防災情報システムを整備したし,気象庁は明治以来100年続いた気象庁震度階を大幅に改正し,また震度の観測点が震災前の10倍の1500に急増したことなどがその典型であろう。科学技術庁の地震調査研究推進本部が,余震の確率評価と活断層の長期評価を実施し,また近い将来,推進本部の中に「地震情報を防災に生かす部会」が設置されるが,これもまた,災害情報の重要性が強く認識されてきたことを示すものといえる。20年ほど前を思うと,まきに隔世の感がある。

構造物の耐震強化,災害に強いまちづくりなどハード面の対策は膨大な経費を要する。一方,災害情報の整備は,物的被害は防げないが人的被害の軽減という点からみると費用対効果が高いこともあって,防災対策に占める災害情報(防災情報)の比重は,今後もますます大きくなると思われる。また,それに応じて,災害情報研究の重要性も高まっていくであろう。しかし,研究面での課題もだんだん明らかになってきた。

私が災害情報研究に看手した頃は,現実に発生した各種災害の実態調査に基づいて,情報面での問題点を摘出し,それを克服する手立てを提言するというのが,もっぱら唯一の方法論であった。帰納的方法であるが,その結果,たとえば同報無線の普及促進,防災行政無線の自動接続,地域防災無線の開設,類似台風の発表,公衆電話の地震停電時の無料化,災害時伝言ダイヤルの設置,東海地震関連情報の設定,余震確率の発表などの施策に,いくぶんかの貢献ができたと自負している。私自身,災害の種別を問わず,また通信・放送をまたにかけて,興味のおもむくかぎり,いろいろな研究を行ってきた。あらゆる科学の初期がそうであるように,研究領域が未分化で,いわば何でも屋にならざるを得なかったのである。しかし最近,少ないながらも,災害情報研究の分野に若い人材が育ちつつある。そして,かれらは何でも屋の私と違って,電気通信の知識にいちじるしく秀でている者,地震情報についてずば抜けて詳しい者,災害情報システムのプロなど,ようやく,研究が細分化してきた。これは,基本的に自然の流れであり,これほど災害情報が進歩してきた現在,そのすべてをカバーできる人間は,別の面から見れば,細かい分野では素人に近い存在にすぎないのである。災害情報研究が,初期の段階から第2期に入ったともいえよう。

しかし,気になることもある。研究者は基本的に「オタク」のようなもので,自分の関心をもった分野をひたすら追求するという姿勢が重要である。強い専門性をもたなけれぱ,優秀な研究者とはいえないであろう。けれども,基礎研究ならまだしも,防災という応用分野にかかわる研究は,専門性を保ちながらも,関連分野への強い関心と知識も持たなければならない。専門分野でほぼ同じ能力を持っていても,関連分野への関心と知識が深い人と浅い人では,研究の幅と広さに大きな違いが出てくるのではないだろうか。災害情報の研究でいえば,理学的・工学的的研究の基礎知識と最新動向への関心が,新しい研究課題の大きなヒントになることは,疑い得ない事実なのである。その点,若い世代が他の領域にどの程度知識と関心を持っているのか,また他の分野の人たちとの交流を通じて,自分の世界を広げようとしているのか,ちょっとわからないところがある。私は,自然災害学会はじめ,他の関連分野の人たちとの相互交流を深めるよう,若い人たちに勧めてきたが,今後も,相互交流の重要さを説き続けていきたいと思っている。