学会誌「自然災害科学」

自然災害科学48 Vol.17,No.4, 1999, p303f

【巻頭言】[Preface]

突発災害調査の意義

京都大学教授
村本 嘉雄

河田本誌企画委員長から,“今期限りで委員長を辞めるので,……”という前置きで,この巻頭言を依頼された。おそらく定年退職を目前にしている小生に,何か自己反省の言葉を残すように,と言うことであろう。

反省材料と言えば,ここ10年近く(1990年の19号台風以来)災害調査から遠ざかっているので,災害に対する意識もかなり観念的になっており,調査に参加するか,しないかによる認識の差が大きいと感じて,標題を掲げた。

本年に入ってから,コロンビアでの悲惨な地震被害が報ぜられているが,とくに昨年は甚大な災害が多発した年であった。

国内では,新潟,高知,東北,北関東の水害や,台風7号による強風災害,国外では,アフガニスタンの地震にはじまり,パプアニューギニアの津波,中国長江の広域氾濫,インドの記録的熱波,中米のハリケーン災害などで,多数の犠牲者が出た。近年では,1993年以来であろう。この年には,釧路地震にはじまって,北海道南西沖地震津波,鹿児島,首都圏などの豪雨災害,雲仙普賢岳の噴火拡大,ミシシッピ大洪水,ネパールの土砂災害,ヨーロッパ(仏・英・伊)の水害など,があった。

以上のうち,皆さんはどれだけ覚えておられるだろうか?小生も,手元の資料から拾い出した次第で,殆どは忘れ去っているものが多い(年のせい?)。最近は,テレビで災害の生々しい映像が伝えられ,その瞬間は釘付けになるが,あまり記憶に残らないようである。

当然ながら,災害現場を見る,見ないの差は大きい。また,見るだけか,調査して纏めるかによる認識の差も大きいと思う。さらに,フォローアップするか,しないかによっても止揚の度合に違いが出る。

小生が,最初に災害調査に参加したのは新潟地震であった。「河川災害に関係ないかもしれないが,見るだけでもよい」ということで出かけた。新潟市内の震災以外に,阿賀野川堤防の縦亀裂や,その直後の出水による刈谷田川の破堤の瞬間を覚えている。後に,「河川堤防の安全性と水防技術の評価」の計画研究を企画するヒントになったが,その当時は,成果報告の作成には加わらなかったので,収集した資料がなく残念に思ったことがある。

調査の取り纏めは,まず資料不足に当惑し,最後に災害の予測可能性や対策に対する提言に悩む。また,報告書配布後の問合わせも,災害直後の「天災か,人災か」に絡んで事実誤認に関する指摘から,かなり遅れて河川改修等の対策に対する質問まで様々である。しかし,そうした報告書作成のストレスやその後の反響があるからこそ,災害の社会的重みを認識し,現象の掘り下げと理解も深まると言える。

災害調査のフォローアップには,現地調査の継続から,それに関連した基礎研究の展開までいろいろな形態があり,また,災害の規模にもよるが,災害後に少なくとも2回以上の現地調査は必要であり,数年間は継続したいものである。海外での災害の場合は予算的障害があるが,最近は,科研費の「国際学術研究」,あるいは他の種目でも国外出張費の計上が可能となっており,その気になれば実現できるであろう。

初めて災害調査をする人に,「現地調査から報告書作成までのマニュアルはないか?」と聞かれることがあるが,「そんなものはないし,必要もない」と答えることにしている。災害は不確定要素が多いので,個人の意識による展開が重要であり,専門を生かしながら視野を広め,災害そのものを調査・研究することに意義があると思う。そのためにはいろいろな専門分野にまたがったチーム構成が望ましい。

本年は,災害調査の取り纏めに辛苦されておれる方々も多いと思うが,その努力は報告書と言う形だけでなく,個人の認識という無形で残るものの方が多く,長い目で社会に還元されていくものと思う。