学会誌「自然災害科学」

自然災害科学38 Vol.15,No.2, 1996, p79f

【巻頭言】[Preface]

今こそ災害救援のネットワークを - 阪神・淡路大震災の犠牲を無駄にするな -

NVNAD 日本災害救援ポランティアネットワーク理事長
伊永 勉

私の救援活動は,次の言葉から全力投球の誓いを立てることとなった。「この震災は,自然破壊をし続けた人間のおごりに対する神の怒りではないか。ただ,8時30分ではなく5時46分であったことは,もう一度我々にやり直しの機会を与えてくれたように思う。復輿・再建には人間と自然の融和を考えたまちづくりをしなければならない…」。2月4日ネットワーク発足の日,西宮市長との会見での言葉である。

神戸に地震が来ることを,誰が知っていたのだろう。阪神・淡路大震災の後,専門家の方から予測されていたとの話を聞いたが,200万人を越す被災者の中に,真剣に対策を立てていた人がいたのだろうか。多くの市民は防災という言葉に日常生活での実感を持っておらず,年に1回開かれる防災訓練が形式的な自治体の恒例行事となり,東海,関東の一部自治体を除いて,市民はお付き合いで参加するにすぎなかった。

阪神・淡路大震災が全国に与えた影響は,「自分のまちは安全」という概念が,どこにも通用しなくなったらしいという不安感である。防災ほどリスクが大きく生産性の少ないものはない。あってからでは遅いというくせに,事前の公共工事には,税金の無駄遣いという批判をする,日本の災害に備える構図は,国民と政府の責任のなすり合いから,脱皮していない刹那主義にあるのではないだろうか。雲仙,奥尻,古くは伊勢湾台風,福井地震いずれの災害も,日本の危機管理の重要性を,国民に認識させ得る惨事であった。この阪神・淡路大震災が,もし将来の国民の生命,財産を守る,確固たる防災計画を生み出すきっかけとならなかったら,何万人の死者がでようとも,救うことのできない国になってしまうのではないだろうか。

今回の大震災で,ボランティアの逞しい働きが評価されたが,このような不特定の市民活動が地域防災計画の中に組み込まれていた例はない。あくまで自主防災が原則であり,自治体も自主防災組織も被災者になるという想定は考えられていない。救援とは,このような地元の力では何も出来ない事態に対して,外部からの力を以ってする活動であり,事前の広域連携なくしては,不可能な活動である。

ボランティアと行政の関わりについて,NGOは行政とは無関係な自主的活動であり,一線を引いた「いわれなくてもするが,いわれてもしない」が原則という。しかし開発途上国援助とは異なり,災害救援は産官学民の壁を意識していては何も出来ない。災害復興は政府の責任であるからこそ,早期復旧・復興のために,行政の公平平等理論では出来ない??を,民間が埋めるべきである。我々の活動を「行政の犬」と酷評した団体もあったが,「いわれなくてもするが,いわれてもできる」が,西宮ボランティアネットワーク設立の基本であった。

本年1月,日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)と改名し,社団法人化を目指しているのは,国内外を問わず,災害救援の連携事務局を作るべきと確信し,産官学民の連携・事前情報交換・緊急時ネットワーク等,民間調整役を築くことが,今の日本に必要と確信したからである。

幸いにも,全米民問災害救援ポランティア機構(NVOAD)との姉妹提携も進み,FEMA(米国連邦緊急事態管理庁)からは,文書の翻訳・出版許可を受け,スイスのバーゼル州救援隊の調査資科等を含む,多くの海外文献を入手し,発表する体制が整った。

8月には「災害救援ネットワーク関西」が始まる。近畿6府県を中心に,民間レベルでのネットワークを形成し,情報の交換,企業を含む各団体のサプライの認知等を行い,具体的には,東海地震を想定した静岡県への救援アクションプランを構築するのが当面の目的である。民間団体・日赤・連合・学識者により構成し,行政・消防・警察・自衛隊のオプザーバー参加も要請している。

海外でも,インドネシアの地震救援で,JICA・JDRと現地赤十字,そしてNVNADが共同作戦をとったことが,初めての官民連携であったと評価されたことからも,我々JVNADの役割の重要性を,改めて認識し責任を感じている。

ところで,法人化については,窓口の消防庁が前例のない法人組織であるとのことから,いまだに具体的な指導を出してくれない。公益性については理解されても,永続性について,即ち会員募集の動向が,大きな要因となるようだ。会員募集の問題点は,総論賛成でも各論・会費入金を渋る団体が多いことで,企業にとってのメリットを聞かれる。産官学民連携を目的とする災害救済ネットワーク設立に,多くの方々のご理解を戴きたいものだ。