学会誌「自然災害科学」

自然災害科学35 Vol.14,No.2, 1995, p97f

【巻頭言】[Preface]

大地震に遭遇して

元西宮市長令婦人
辰馬 米子

この度の阪神淡路大震災で昭和初期の木造家屋の我家は倒壊し,主人と私は瓦礫の中に埋もれてしまいました。

「ドーン,ドーン」と三回大きな音と共に寝ていた身体が飛び上り,わずか10秒程で私の家は壊れたのです。関西地方ではこの様な大きな地震はもち論の事,地震の起きる事さえめったにない土地柄ゆえ,真暗やみの中から「何だろう,何か爆発か?」との主人の声が聞こえた程でございました。ほんの少しの光さえさし込まないまでに壊れはててしまった家にうずもれ,どれ程の時間がたちましたのでしょうか,時の観念は全くなく,ただ唯,救出の手を待ちわびるばかりでした。まず主人の方が見つけだされましたが,挟まれていた足がどうしても抜く事ができず,助けに駆けつけて下さった皆様の必死のご努力にもかかわらず,眠るように91才の生涯を閉じてしまいました。あの暗やみの中で励まし合い,まさかご近所のほとんどが壊滅状態であるとも知らず,無事救出される事と信じておりました主人の様に,助けの時を待たずして亡なられた方々もさぞかし多かったろうと誠に残念に思っております。頑丈な日本家屋で太い梁や大きな大屋根,重い屋根瓦,粉々につぶれた土壁等で私の救出もなかなかままならず,やっと7時間後に助け出され40日間の入院生活を致しました。救出に御協力下さいました御近所の方や,見知らぬ大勢の方々,特に若い方達の御活躍の話を聞き,感謝の気持ちで一杯でございます。この様な有事にこそ本当の人間としての真価が問われ,多くの方々が,それに応えて心の温かい立派な行動をとって下さったと嬉しく思っております。ある意味では,この大震災で色々な人の人間性をかいま見た様な気が致します。咄嵯の場合自分はどの様な行動をとれるか,又平時には何でもない行いも災難に遭っている人々を傷つける場合もあるなど,ずい分息子夫婦や孫達とも話合い,若い人達の今後の生き方に役立てばと願っております。又近所の某石油会社の独身寮からもl0名程援助に来て下さり,この方々は幾らか組織的に行動しておられた様に思われ,企業として何らかの緊急対策の訓練でもあったのかとも思いました。「煙草は吸わないで下さい」,「マッチ,ライターはつけないで」という声が埋まっている私に聞こえましたが,事実ガスの臭いがしたとの事でございます。挟まれていた腕や首の痛みもさる事ながら,喉の乾きも辛いものでございました。

私は二度,大地震に遭遇いたしております。12才の時大正12年の関東大震災があり,この時は非常に大きな横揺れで,山の手の東中野にあった実家付近は余りたいした被害が無かったものの,一駅先の中野の電信隊の高い鉄柱は全部倒れてしまいました。浅草本所,深川方面は今回の長田地区と全く同様の被害を受け,特に本所の被服廠跡に避難された大勢の方々は,持出された荷物や衣服に火がつき,身を守るはずの高い塀は,かえって逃げだすのに妨げとなってしまいました。

震災直後,被災者の方々の考え方には共通したものが幾つもございました。しかしそれも日が経つにつれ,それぞれの立場により追々変ってきた様でございます。私共の住んでおりました夙川近辺の日本家屋は全部という程無くなってしまい大勢の方が亡くなられました。今おります甲陽園は車で10分も離れておりませんのに,ほとんど被害がありません。堅い岩盤の為とも,又活断層に沿って走った地震の道から逸れていたとも云われていますが,今後の研究がまたれる所でございます。

春の桜,海岸迄続く美しい松並木に映える趣のある家並,あの西宮の街々が一日も早く復興する事を願ってやみません。

自然災害科学という貴重な学問とのこと,今後益々御研究の上,大きな成果をあげられます様,期待致しております。