学会誌「自然災害科学」

自然災害科学52 Vol.18,No.4, 2000, p395f

【巻頭言】[Preface]

災害現場に学ぶことの重要性

日本自然災害学会副会長
鏡味 洋史

インターネットの普及に代表される情報ネットワークの発展は,災害調査にも大きな変化をもたらしている.地震災害の場合も地震の発生と同時に地震情報は世界を駆け巡り,様々な情報が即座に入手できるようになった。さらに,地震観測や強震観測もディジタル化され,それらがオンライン情報として収集・処理されるようになり,地震発生のメカニズムや地震動のデータが短時間のうちにインターネットなどで公表されるようになってきている。地震災害の情報もテレビ等の映像の他,インターネットを通じてオンラインニュースや現地の新聞などきめ細かい情報が容易に入手できるようになってきている。これらの情報をいち早く収集することにより地震及びその災害を理解することができる状況となっている。このような状況下で災害現場に立ち学ぶことの意義を考えてみたい。これまで災害科学は災害の現場に立ち災害を直視することで新たな問題点を発見しこれを解決することで発展してきたと言えよう。前述の居ながらにして得られる情報からは地震及びその災害についてかなりの部分まで理解することが可能である。しかし,新たな発見をすることは難しいのではないだろうか。報道される写真やテレビの映像はある窓を通しての映像であり,窓の中の情報は詳細に伝えるが,その外側の情報は何も伝えない。実は,その外側に重要な情報・問題点があるのかもしれない。災害の現地調査はそれらを求めて実施するところに意義があると考えている。

1999年1月に南米コロンビア中西部で地震があり突発災害調査として現地調査に出かける機会を得た。マグニチュードは6.2と決して大きな地震ではなかったがコーヒーの集散地である地方中心都市アルメニアを襲い2万棟を越える建物が倒壊し千名を越える死者を生じた。地震後の報道では,都市の壊滅と死者数の増大が報じられ,時間が経るにつれ被災現地での略奪行為などの治安の悪化のみが報じられていた。文部省から突発災害調査の内諾を得たものの治安状況確認,現地調査が可能であることの確認を強く求められ正式決定まで時間を要した。また,内外の研究者の中には私は行きたくない,本当に大丈夫なのか,誘拐保険をかけた方がよい,などと言う人の多い中準備を進めた。しかし,現地にでかけ状況は相当違うことが判明した。略奪は確かにあったが,それは被災民によるものではなく,被災地への公共交通機関の料金免除制度で全国から盗賊団が集中したことが原因で,すぐに警察により制圧された。地震後の応急対応,復旧対応はむしろ組織的に整然と行われており学ぶべきことは多かった。このようなことは現地へ赴かなければ分からないことである。

次に,地震災害では地震を実際に体験することの重要性が上げられる。地震時のゆれの様子はいくら強震記録を眺めてみても実感することはできない。また,振動台による地震動の再現でも自ずから限界がある。実際に体験することに勝るものはないはずである。筆者は地震災害の研究をしていながら最強の地震を体験したのはこれまで1968年十勝沖地震の調査の際の余震の震度5弱程度であった。1995年兵庫県南部地震の際には大阪の上本町のホテルの9階で地震に遭遇した。日米都市防災会議が1994年のノースリッジ地震の1周年にちなんで大阪で17日から開催されるため前日より宿泊していたものである。大阪の震度は4であったが建物の上層階ということを考えると5には達していたものと思われる。次第に強くなる揺れを感じながら,最初は「大阪で地震とは珍しいことだ」から,「これはただ事ではない大地震だ」に変わった。洗面所で水が音を立てて溢れていたのが印象的であり,初めて地震の強い揺れの恐ろしさを味わった。しかし,これは震度5程度の揺れであった。神戸を始め,近畿圏では多くの研究者の方が震度6や7を体験され中には被災者となられた方も少なくないと思われる。貴重な体験は何らかのかたちで研究に生かされているものと思っている。

筆者は高校時代に名古屋で1959年の伊勢湾台風を経験した。筆者の実家は幸い浸水しなかったが,風雨が強く屋根瓦が飛ばされ飛来物で穴があくなど,雨漏りが酷い中一晩中雨戸を抑えていたのを今でも鮮明に記憶している。高校の授業は1ケ月近くもなくその間,今で言うボランティア活動で救援物資の仕分け・配送,堤防の締め切りのための土嚢つくりに毎日出かけた。風水害については全くの門外漢であるが,これらの経験から台風災害について他の人よりは身を持って理解している積りである。災害の現場に立つことが災害研究の原点であることを改めて強調したい。