創刊号
 
「発刊のことば」 自然災害科学研究第三の時代
自然災害科学会 会長  松澤 勲

 

 まえがき
  わが国は世界有数の災害国として各種の自然災害による損失は年々巨額に達して,むしろ増加の傾向にある。従来.災害対策は被災地の救済と復旧作業に追われて,災害制御あるいは防災・滅災の対策を十分に講ずるに至っていない憾みがある。災害の予防・軽減に万全の方策が樹てられて,その作業が満足に施行できれば.災害の損失は大いに減少するはずである。災害の制御,防災・減災施策の効果を一層高めるためには,災害に関する学理とその応用の研究に十分な力を注ぐことが重要である。
 自然災害は,社会生活環境の拡大と推移に伴って変化し,その様相が複雑化するとともに災害発生の潜在的危険性がますます増加の傾向を辿るにいたる。確固たる災害対策を樹立することが緊急の課題として要望されるのであるが,この対策は.第一に基礎としての自然災害科学の学術研究;第二に応用としての自然災害科学の技術研究;第三に災害復旧および防災・減災施工の事業に分けられる。わが国においては,たい勢として見れば,第一の研究は,主として大学関係においてなされており,第二の研究は,主として第三の事業を主管し担当する官公庁の関係研究機関において行われている。自然災害の学術研究と技術研究,さらに事業対策との3者は,相互に協力提携して,密接な連繋のもとに,自然災害対策が推進されることがきわめて重要である。とくに,第三の事業対策は,第一および第二の研究に基づいて樹立されることが肝要である。
 古く始めは,恐らく災害対策はもっぱら披災復旧の作業と被災地からほかへの転住であって,続いて防災・減災対策の施行,さらに復旧および防災・減災施工についての技術研究が行われてきたと思う。このような情勢が続いて,災害復旧,防災・減災の対策と技術研究が主として官公庁関係において施行され,主管されてきた。その後,自然災害の原因究明と被災メカニズムの解明などに関する学術的研究の必要性にかんがみて,関連の専門学問分野の災害研究が行われるようになり,逐次,とくに大学関係において自然災害の基礎的学術研究が活発に行われるようになった。
 自然災害は,全国的にいたるところ随時に発生し,何処に,何れほどの規模の何んな種類の災害が,いつなん時に発生するかは予測できない情況で,かつ,災害がますます複雑化の様相を辿って増加している情勢に対しては,基礎的学術研究,応用的技術研究,さらに対策事業の3者相互間の密接な連携がきわめて重要であり,それらが相互に協力提携して強力に推進されることが肝要である。すなわち,基礎的学術研究の成果が応用的技術研究の推進発展の基礎となり,また,反対に後者の研究成果が前者の研究に役立ち,研究を進展させる。かくして,十分な技術研究の上に立って適切な防災・減災,あるいは災害復旧の事業対策を進めることが望ましい。そのためには,これら3者連携の研究体制が緊密に提携協力して遂行されることが重要である。

 自然災害科学研究の特殊性
 自然災害は,自然現象の自然力が災害発生の原動力として加害素因となり,これに対して被災地域の社会生活環境や自然環境の諸条件が被害素因となって,両者が不均衡に接触し,相絡み合って発生するのであるから,発生の機構や災害の様相とその規模は,それぞれ両者の絡み合いの如何によって,いちじるしく異なってくる。
 自然災害現象は,きわめて複雑多様で多岐にわたっているゆえに,これを研究する従来の専門学問の立場からみれば,常にいくつかの専門分野に属する面が絡み合って発生している現象であるから,自然災害科学は,いくつかの専門学問の分野にまたがる境界領域科学と言えるだろう。したがって,境界領域科学としての研究は,関連の専門学問のそれぞれの専門知識を活用して専門の立場で災害研究を行う専門学問個別の面と,それら専門学間の専門知識を相互に協調・融合して総合的に災害事象を究明する面とが,両両相俟って研究が総合され,とくに後者の研究が満足に推進されて,十分な成果が挙るというのである。このような縦横両面を包含して専門学問分野間の境界域の研究を行ういわゆる境界領域科学について,第2次大戦後の頃から,とくに論議され,活発に提唱され,きわめて重要であると思われるが,最近はあまり聞かれない。おそらく,境界領域科学としては,うまく推進されない何かの障壁があるのではないだろうか。
 災害研究の十分な成果を挙げるため,惹いては自然災害科学の満足な発展のためには,研究活動において,関連の専門学問それぞれの異なる学問理念相互の協調とそれぞれの専門知識の交換・融合の協力のもとに自然災害発生の原動力としての自然現象の究明,被災機構と被災の発展・拡大のメカニズムに関する災害現象の解明,防災・減災対策と施設の策定・検討などの研究の遂行が重要である。すなわち,自然災害科学は関連の専門学問の単なる寄り集まりでなく,研究面において相互間の融け合った協調の成果が期待されるのでなければならない。現状は,果してそのように研究が満足に進展されているのだろうか。

 自然災害科学の学術研究と技術研究
 自然災害の研究は,前述のように,現状,大局的には,基礎的学術研究が主として大学関係において,応用的技術研究が主として官公庁関係の試験研究機関においてなされている。なお,対策事業については主としてそれぞれの官公庁が主管あるいは担当している。然して,基礎的研究,応用的研究,事業対策の3者が,相互に協力提携して密接な連携のもとに推進されることがきわめて重要であって,この体制がうまく進展できれば,自然災害科学としての満足な発展がみられることも前に述べたとおりである。
 さて,大学における研究は,客観的には,自由な立場から,自然災害の原因や災害事象や災害の予測に関する一般法則とその体系を究明しようとする無制約の基礎的研究である。これに対して,一方,各官公庁における研究は,それぞれの所轄事業の遂行に必要な応用的技術研究であって,行政目的を果すことを究極の目標とするのであるから,客観的には,ある種の制約による,いわゆる有目的の研究である。両者の研究上の立場には,このように明らかな根本的な相違が認められるけれども,研究方法,観測や実験の方法,研究の手立て等において多くの共通面がある。大学における基礎的学術研究の成果が諸官公庁における応用的技術研究の推進発展の基礎となり,後者の研究成果や業務観測測定資料の提供によって前者の研究を充足・促進し,進展させる。かくして,十分な技術研究の上に立って適切な防災・滅災あるいは災害復旧の対策事業を満足に進めることが望まれる。
 昭和34年(1959)の伊勢湾台風災害を契機に,大学における自然災害研究が,とみに活発に行われるようになった。全国的に,各大学の関係諸学の研究者が積極的に協力して自然災害の共同研究が推進され,現在は,文部省の自然災害特別研究の科学研究費補助により自然災害の学術研究が推進されて,多くの研究が行われ,たくさんな成果を挙げている。しかしながら,大学関係の研究者による自然災害に関する研究は,これよりもかなり古くから行われてきている。それらの研究は,目標が自然災害の究明というよりも,むしろ災害を研究材料として自分の専攻の専門学問に関する研究が大部分であって,自然災害研究は二の次のようであった。しかし,これらの研究成果と言えども,今日の自然災害研究上の貴重な研究資料となっている。大局的に,このような研究のころを自然災害研究の第一の時代(早暁珂)と呼ぶことにする。たとえば.大正12年(1923)の関東大震災は地震による被災の最大級のものであったが,当時の研究面では,都市災害の研究というよりも,むしろ地震学の立場における研究が多かったようである。
 次に,当然のことながら,前述のように,伊勢湾台風災害がきっかけとなって,全国的に各大学の自然災書に関連諸学の研究者の多くが積極的に協力して,境界領域科学としての自然災害の共同研究が活発に行われてきている。続いて,昭和35年には災害科学総合研究班が,大学における自然災害研究を有機的に推進するための研究連絡と総合的研究推進の組織体として結成され,一方,文部省も研究奨励のために科学研究費補助の制度を設け,以来活発に研究活動が続けられている。このとき,こうした研究活動推進のために,また,学術研究,技術研究,事業対策の円滑な連携のためには,それらの背景として自然災害の学会設立が必要であることを提案したが,実現に至らなかった。以来現在まで,自然災害を自己の専門学問を推進するための研究材料でなく(第一時代),自然災害究明を目標として,関連諸学の専門知識を活用して協力し,自然災害現象解明の総合的研究が活発に行われ,多くの成果を挙げているが,これを自然災害研究第二の時代と呼ぶことにする。これより先,昭和26年京都大学に防災研究所が設立された。研究所には自然災害関連諸学の部門がいくつも設けられ,第二時代の嚆矢ともいうべきであろう。
 一方,翻って,官公庁関係における技術研究および対策事業は,始めは災害復旧や防災・減災施工の事業と続いて対策の技術研究は現実的に,また必要上から大学における学術研究に先行して,はるかに古くから行われたと思われる。複雑,多岐にわたる自然災害に対して,それぞれの技術研究および対策事業がそれぞれ行政上の所管業務の範囲内に限定されて個別的であるところに,自然災害現象解明の総合的見地から,偏った技術研究や対策となるのではないかと懸念される。自然災害の最も効果的な対策は,災害現象の総合的な見地に立って,基礎的学術研究,応用的技術研究および対策事業が有機的な連携のもとに遂行されて,災害の制御,防災・滅災の施策に資することが肝要であると考えている。

 自然災害研究の第三の時代(波)
 自然災害研究の第二時代は,境界領域科学として,主として大学が担当している基礎的学術研究においては,自然災害に関連諸学の専門知識を活用して相互に連携の総合的研究が活発に行われ,多くの研究成果を挙げて.おおむね20有余年にわたっている。その間,文部省の科学研究費補助が続いて研究推進に預かっていることは見逃すことのできない事実である。さて,それらの研究に対して,あるいは,研究の体制に対して,単なる専門学問の寄り集まりではないかという批判を受けたことがある。また,それらの研究成果のうちには,分担の専門枠内の研究が羅列されているだけで,相互の相関が薄く,自然災害としての総合性を欠くものが間間見受けられる。
 自然災害に関連諸学のそれぞれの専門知識を活用して相互連携の共同研究を行ういわゆる境界領域科学としての研究では,自然災害研究の満足な成果を得るに必らずしも十分ではないように思われる。複雑多岐にわたる自然災害現象に対して,根本的に関連の専門学問それぞれの見地に立ってそれぞれの学問理念に基づいて,それぞれが研究を進めているのが問題であると思う。したがって,自然災害研究全般を統括する独自の学問体系の立場から独自の学問理念にもとづく研究推進が重要である。このような研究の体制は,かねてより考えていたことであり,かれこれ数年ほど前ごろからぼつぼつその傾向もあったが,いまや自然災害の研究は独自の学問体系をもつ自然災害科学としての学問理念にもとづいて研究を推進する体制が重要であって,これを自然災害研究の第三の時代と呼ぶことにする。自然災害の満足な研究を推進するためには,今後,自然災害科学の学問体系の整備につとめるとともに,そのような体制のもとにおける研究の進展が肝要である。
 これに対して,一方,応用的技術研究においても同様に,従来のそれぞれの専門学問分野の立場から主観的に境界領域科学としての自然災害研究を行うのではなく,独立な自然災害科学の見地から研究を進めて,それぞれ個別の行政所管対策事業に対して適切な資料提供や提言を行うのが最も効果的であると考える。
 すなわち,ここに自然災害研究の第三の時代として研究を推進することが重要であることを提唱する次第である。

 自然災害科学会の設立とその意義
 自然災害の研究を有機的に推進して適切な最大の効果を挙げるためには,その背景として自然災害の学会の存在が重要であって,学会設立の要望が高まってきた。そこで準備が進められて昭和56年3月27日に発会式を挙行し,学会の名称を自然災害科学会(Japan Society for Natural Disaster Science;JSNDS)と決め,学会の目的と事業の7項目を定めて,それを認定し,会長を推挙して指名された。学会の事業項は次の如くである。

(1)自然災害科学の基礎的学術的研究,応用的技術研究ならびに防災・減災システムの究明に関する調査研究
(2)自然災害科学の知識の普及
(3)大学,官公庁および民間団体等の自然災害関係研究者および技術者の交流と連携
(4)自然災害関係の研究者および技術者の養成
(5)自然災害科学研究の国際的学術交流
(6)学術大会,学術例会,研究会,講習会の開催と学会誌「自然災害科学」等の刊行
(7)その他本学会の目的を達成するために必要な事業 前述のように,わが国における自然災害の研究と事業対策は自然発生的に,基礎的学術研究が主として大学において,応用的技術研究が主として関係官公庁とその試験研究機関においてなされ,対策事業がそれに関連の官公庁主管のもとに行われている。このシズテムに対して,第一の学術研究はもちろん,第二の技術研究においても,もはや,それぞれ専門学問の立場から専門の学問理念にもとづいて,災害現象の研究を行う(第二時代)のでは不備であるゆえ,いまや自然災害科学として独立の学間体系を確立して独立の学問理念にもとづく研究を推進するとき(第三時代)でなければならないことを提唱しているわけである。そして,とくに第一の学術研究と第二の技術研究の相互の研究上の円滑,かつ緊密な連携がきわめて肝要であるにかかわらず両者間の連絡がほとんど行われていない現状である。
 以上のような情勢において,ここに自然災害科学会が設けられたことは,きわめて意義あることであって,その果たすべき役割は重大であると言えよう。学会は,事業の(6)項に示す学術大会,例会,研究会等や学会誌「自然災害科学」等を通して斯学の発展に資し,(3)項の大学,官公庁,民間団体等の研究者および技術者の交流と連携を計るとともに研究の交流と連携をはかる。また,それによって基礎的学術研究と応用的技術研究の相互間の円滑な交流と連携が行われるよう期待される。さらに,(5)項の海外諸国と活発に学術交流を行って自然災害科学研究のいっそうの向上に資する。
 なお,自然災害の研究を推進する上の重要な要素として学術用語の統一の問題がある。自然災害科学の満足な発展,向上を計るためには,共通の学術用語の統括,選定が緊急に要求される。
 わが国は,災害国と呼ばれているほどに,自然災害のいろいろな種類の災害が全国津津浦浦にわたって頻発し,多数の被災地域のほか,災害の発生が予想される地域,または災害発生の潜在的危険性を包蔵している地域が,実に数多く全国的に広がって存在する。一方,人間社会生活環境が全国的に拡大するにつれて,社会生活環境がいろいろな形態に変貌して複雑化し,したがって自然災害の様相もいちじるしく変化して複雑化し,かつ,年々増加の傾向にある。すなわち,被災側の社会生活環境の拡大,複雑化と相絡み合って変貌し,複雑化する自然災害現象に対処するには,従来の自然科学系の研究態勢だけでは不十分であって,とくに研究面に人間社会生活環境に立脚する人文・社会科学系の研究要素をとり入れる必要も生じてきている。
 かくして,自然災害科学会の学会活動の進展が,自然災害研究第三の時代の満足な研究推進と発展に対して寄与するところはきわめて大きく,その意義も甚大であると思われる。

 学会誌「自然災讐科学」創刊号の発刊について
 自然災害科学会は,自然災害科学の研究の向上と発展につとめるとともに,防災・減災の技術に資することを目的とする組織体であって,全国的に大学,官公庁および民間団体等の自然災害関係の研究者や技術者の共通の交流と相互連携の場である。したがって.多くの研究者や技術者の学会員としての有機的な活用が望まれる。発足以来学会の運営について準備を進めて,まず会員の確保に努力するとともに本年度内に学会誌「自然災害科学」創刊号を刊行し,来年度に第1回学術大会を開催する予定とした。なお,来年度は学会誌を出来れば2冊ほど刊行したいと考えている。そこで臨時の編集委員会を設けて投稿規定(暫定)と執筆要領(暫定)をとり決めて会員諸氏に研究論文の投稿を求めるとともに刊行の準備にとり掛った次第である。ここに「自然災害科学」創刊号(第1巻第1号)の刊行をみることができたのは,会員諸氏とともに喜びに絶えない。この機会に編集委員諸氏のご尽力に対して感謝するとともに本誌の刊行にご協力いただいた各位に対し厚くお礼を申し上げる。
昭和57年3月

 


日本自然災害学会